横濱花火の歴史と、会社沿革
日本の花火の起源 (戦国~江戸時代)
日本の花火の起源は、
1543年、種子島にポルトガル人が来航し、鉄砲を伝えた事から始まったとされます。
その鉄砲を解体して、火薬の製法等を研究したといいます。
戦国時代に武器として使われた火薬は、
江戸時代に入ると、娯楽としての「花火」に使われるようになります。
当時の文献によると、伊達正宗や徳川家康が花火を見物したと書かれているようです。
その後、鍵屋・玉屋による両国川開きなどで有名な江戸のほか、三河・信州・越後などを中心に
花火は大変盛んになっていきました。
以上、これら江戸時代の花火の色は、
暗い炭火色1色のみ(和火と呼ぶ)で、この濃淡で表現されていました。
現在のようなカラフルな明るい色の花火(洋火と呼ぶ)は、
文明開化の地「横濱」に大きな関わりがありました。
近代花火発祥の地「横濱」 (明治・大正時代)
江戸時代、暗い炭火色の花火しか見ていなかった人々は、
初めての華やかな色彩の花火に大変驚き、感激したそうです。
- 明治7,8(1874,1875)年頃
- 横浜太田町に、平山甚太が煙火工場開業
- 明治8(1875)年頃
- 横浜にマッチの原料として塩素酸カリウムが輸入され、これを日本の花火に応用し、
色付花火(洋火)の研究が始まる。 - 明治10(1877)年 11月 3日
- 平山煙火により横浜公園で日本初の西洋花火大会が開催される。
(天長節に大小300余発) - 明治12(1879)年 9月 2日
- 前アメリカ大統領グラントが横浜から帰国する際に平山が盛大な花火を打ち上げる。
この後、平山の「横濱花火」は、欧米へ輸出されるようになる。 - 明治13(1880)年 7月 4日
- 米国独立記念日にグランドホテル前の海上で花火打揚
以降、大正を経て昭和初期頃まで続く。
また、平山煙火は後に県外へ移転したとされる。
「横浜山田の花火」の沿革 (昭和時代~)
- 昭和24(1949)年 7月12日
- 第1回 ミナト・ヨコハマ花火大会 で花火打揚
(大岡川畔や、伊勢佐木町飛行場跡等で数回開催) - 昭和26(1951)年 7月 9日
- 横浜みなと祭花火大会、野毛山山上にて花火打揚
- 昭和28(1953)年 8月16日
- 第1回 金沢カーニバル花火大会 金沢海岸にて花火打揚
(昭和44年まで開催) - 昭和31(1956)年
- 横浜みなと祭 第1回国際花火大会
山下公園を中心に第53回(2008年)まで開催 - 昭和33(1958)年 5月
- 横浜開港100年祭 花火大会
山下埠頭にて花火打揚 - 昭和35(1960)年
- 二代目、山田豊の時、有限会社山田商店 に
横浜開港百年祭
の花火大会(1958年)東京オリンピック
を祝う仕掛花火(1964年) - 昭和50(1975)年
- 第1回 金沢まつり花火大会 開催(~現在)
- 昭和58(1983)年 11月 5日
- 日本丸誘致・みなとみらい21着工祝賀花火大会、山下公園前で開催
- 昭和59(1984)年
- 港北区綱島で、第1回 鶴見川花火大会 開催
(平成11年を最後に近隣の宅地化により終了) - 昭和61(1986)年
- 三代目、山田光明 社長就任
- 昭和61(1986)年 8月 1日
- 第1回 神奈川新聞花火大会 開催
山下公園→みなとみらいで第31回(2016年)まで開催 - 昭和62(1987)年 2月25日
- フィリピンEDSA革命
(Philippine People Power Revolution)
1周年記念式典にてManiraで花火打ち揚げ - 昭和63(1988)年 6月12日
- フィリピン共和国独立89周年記念式典にてマニラで花火打ち揚げ
- 平成元(1989)年 7月23日
- 横浜開港130周年祭
トミタ・サウンド クラウド インヨコハマ で山下公園前海上より打揚
冨田勲氏のシンセサイザーと、オーケストラ、
レーザー光線、コンピュータグラフィックス等と花火の競演 - 平成3(1991)年 1月 1日
- 日本テレビ「ゆく年くる年」で山下埠頭前にて花火打揚
- 平成3(1991)年
- 有限会社ヤマダ に
- 平成7(1995)年
- 株式会社ヤマダ に
- 平成10(1998)年 5月 3日
- 『かながわ・ゆめ国体』開幕祭 開会式で花火打ち揚げ(平塚総合公園にて)
- 平成10(1998)年11月 3日
- 『横浜ベイスターズ優勝パレード』スタートの花火打ち揚げ(新港地区にて)
- 平成10(1998)年11月 8日
- 『かながわ・ゆめ大会(全国身体障害者スポーツ大会)』後夜祭
で花火打ち揚げ(みなとみらい空地にて) - 平成12(2000)年 1月 1日
- 西暦2000年カウントダウンで大桟橋突端にて花火打揚
- 平成13(2001)年 1月 1日
- 21世紀カウントダウンで大桟橋突端とMM21前海上にて花火同時打揚
- 平成14(2002)年 1月 1日
- 2002年サッカーワールドカップ(FIFA World Cup)
横浜決勝開催を祝し、MM21前海上にて花火打揚W杯横浜開催を祝う
サッカー型花火
(2002年横浜開港祭) - 平成21(2009)年 6月 2日
- 横浜開港150周年の開港記念日に、横浜開港祭でMM21前海上にて花火打揚
- 平成21(2009)年
- 横浜開港150周年を記念し、市内各所の記念事業で花火打揚
横浜開港150周年
開国博Y150
マスコット
『たねまる』花火 - 平成22(2010)年 7月18日
- 横浜港花火ショー(山下公園で開催)にて花火打ち揚げ
- 平成24(2012)年 8月18,19日
- 横浜スパークリングトワイライト2012(山下公園で開催)にて花火打ち揚げ
- 平成25(2013)年 8月 1日
- 第28回神奈川新聞花火大会(みなとみらい)にて
集英社『週刊少年ジャンプ』創刊45周年記念コラボ花火打ち揚げ - 週刊少年ジャンプの人気7作品
「ONE PIECE」「DRAGON BALL」「NARUTO-ナルト-」
「暗殺教室」「トリコ」「銀魂」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
と花火がコラボ。
ルフィの麦わら帽子や7つのドラゴンボール、トリコの骨付き肉、
両津勘吉の眉毛、殺せんせー、風遁・螺旋手裏剣、
エリザベスのオリジナル花火が夜空を彩りました。 - 平成25(2013)年 8月 3日
- 横浜DeNAベイスターズVS中日ドラゴンズ(横浜スタジアム)
『YOKOHAMA STAR☆NIGHT 2013』にて
山下公園前海上よりサプライズ花火打ち揚げ - 平成27(2015)年
- 現代美術家・蔡國強(Cai Guo-Qiang)氏の横浜美術館における火薬アートの作品制作に協力
⇒蔡國強展『帰去来』 - 令和元(2019)年7月25日
- ラグビーワールドカップ2019(Rugby World Cup 2019)
決勝100日前イベント(新横浜花火大会内)にて
ラグビーボール型の花火を打ち上げ(横浜国際総合競技場前) - 令和2(2020)年6月1日
- 全国一斉悪疫退散祈願Cheer up!花火プロジェクト に参加
(旭区若葉台公園にて打上げ)
悪疫退散を祈願し、花火を見上げて“笑顔”になってもらう。
全国の人たちに希望と元気を届けたい。
ひとりでも多くの人にこの想いをお届けできるよう、
全国各地で一斉に花火を打ち上げたプロジェクトです。
- 令和2(2020)年~令和4(2022)年
- 横浜スパークリングナイト
[秋冬を中心に新港埠頭・大さん橋・山下埠頭からランダムに短時間の打上げ]
港ヨコハマから打ち上げる花火を通じて、
難局を乗り越えていくというメッセージを発信するとともに、
停滞している事業者の経済活動の後押しを行うことを目的とした企画。
- 令和3(2021)年 ゴールデンウィーク
- #花火駅伝 に参加
[横浜市港南区と葉山町で打上げ]
『花火のチカラで日本中を笑顔に』
を基本コンセプトにGWに全国で花火を上げたイベント。
- 令和3(2021)年、令和4(2022)年6月2日
- 横浜市18区同時打上げ花火 に参加
[横浜開港祭の企画として、横浜市18区で花火を同時打上げ]
・賑わいの創出が激減している横浜市の全ての皆様に笑顔になっていただきたい想い
・医療従事者に向けての感謝の想い
・新型コロナウイルス収束の想い
をのせた企画。 - 令和4(2022)年5月
- 映画『トップガン マーヴェリック』
ジャパン・プレミア・レッドカーペット・セレモニー で、
トム・クルーズさんからのプレゼントとして花火打上げ。
(横浜港 大さん橋 国際客船ターミナルにて)
- 令和5(2023)年3月
- 山田光明 会長就任
山田洋右 社長就任(四代目)
参考資料
神奈川新聞
横浜成功名誉鑑
郷土資料の森 第13号 (神奈川県立図書館かながわ資料室編)
郷土よこはま 132号 (横浜市中央図書館編)
横浜開港資料館